江夏豊

1948.5.15生
67-75阪神
76-77南海
78-80広島
81-83日本ハム
84西武
829試合
206勝158敗193S
2987奪三振
防御率2.49

タイトル MVP(79,81) 最多勝(68,73) 防御率1位(69) 最優秀救援投手(77,79-82) 沢村賞(68)

 言わずと知れた伝説の左腕。
エピソード多数。
・68年 401奪三振。9月13日日本タイ記録の353奪三振、新記録の354奪三振は共に王貞治から奪っている。しかもその試合は0-0の投手戦。延長11回裏自らサヨナラ安打を打つ。
・71年 オールスターゲームにて9者連続三振。最後の打者となる加藤英司がキャッチャーフライを打ち上げた際、キャッチャー田淵に「追うな!!」と言った。この試合2回表には江夏は自ら西宮球場の右翼席上段に3ランを叩きこんでいる。
・73年8月30日 対中日戦 延長10回ノーヒットノーランの末、10回裏自分でサヨナラHRを打ち「野球は一人でできるんじゃ。」と言い放った。
・76年 江本猛紀とのトレードで南海へ。野村克也と出会い「抑えの切り札として野球の革命児になってもらいたい」と言われ救援投手転向。
・78年 野村克也辞任に伴い、トレードを志願。金銭にて広島へ。
・79年11月4日 日本シリーズ第7戦。江夏の21球。
・81年 高橋直樹とのトレードで日本ハムへ。
・84年 柴田保光とのトレードで西武へ。監督の広岡達朗が進める「管理野球」と真っ向から対立。シーズン終了後自由契約となり、翌年2月より単身米大リーグへ。
・85年1月19日 日本球界引退試合。全日本のプロ野球人の有志山本浩二・落合博満・福本豊・大杉勝男・江藤慎一などが集まり多摩市営一本松球場にて行われる。その時江夏が来ていたユニフォームは9年前自身を厄介払いした阪神のユニフォーム、背番号28。
・85年 ブリュワーズのキャンプ、オープン戦に参加。惜しくも1軍枠10人には残れなかった。ちなみに最後まで江夏と1軍入りを争った若手ヒゲラ投手はその年16勝。
・93年3月2日 覚せい剤取締法 違反で逮捕。

150キロを超える直球と落差のある二種類のカーブとフォーク。指が短かったためフォークはほとんど投げられない。
しかも先天的に心臓が人より小さい。そんな中での伝説である。
晩年のとある試合、江夏は右打者の外角低めにストレートを投げ込む。判定はボール。その時TV解説者の一人が「江夏君もボール一つ分コントロールミスをするようになったんですね」と悲しんでいた。
85年阪神タイガースは優勝する。しかしその後大きく低迷。TV番組の取材に対し、江夏は阪神に対する愛情を切々と語る。
アナウンサーの「どうして、あなたに対しあんなにまでひどく扱った阪神タイガースを、そんなに愛し続けられるのですか。」と言う問いに、
「それは18歳の右も左もわからん小僧を一人前の男にしてくれた球団だからです。」と涙ながらに語っていた。

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