小林繁

1952.11.14生
72-78読売
79-83阪神
374試合
139勝95敗17S
1273奪三振
防御率3.18
●タイトル
最多勝(79) 沢村賞(77,79)

71年ドラフト6位で読売に入団。高校時代に目立った成績は無かったが、プロに入ってから頭角を現し、76,77年2年連続で18勝をあげ読売のエースとして活躍していた。
腰を低く落とし、体全体を独楽のように回転させサイドスローから肘を出し手首を遅らせて投げる。
投げる瞬間顔は空を向いており、非常に独特のピッチングフォームは、杉浦忠や山田久志とは違った意味で美しく非常に人気も高かった。
そんな彼の大きな転機となったのが78年に起こったいわゆる「江川事件」。この世紀の大事件はコミッショナー裁定により、江川卓を阪神に入団させ、すぐに読売の小林繁とトレードさせるというもの。
しかもこの知らせを小林が受けたのは79年1月30日。いつもの様に宮崎キャンプに向かう飛行機の中。
「同情はしないでほしい」と言う言葉を残してそのまま阪神のキャンプ地・安芸へ向かう。この年の安芸は大変な騒ぎとなった。読売の大エース小林繁が突然阪神にやってきた。
連日小林を見に来るファンでキャンプ地周辺がごった返す。以後どれだけ安芸に人が集まろうとも「小林繁の時にはかなわない」「小林繁の時以来」と言われるようになる。
シーズンに入ると22勝9敗で最多勝と沢村賞を受賞。特に読売戦では8勝負け無し。
その後も阪神のエースとして毎年開幕投手を勤めるが、83年13勝14敗でシーズンを終えた後突然引退を表明。
野球解説者として活躍。高度な技術をじっくり解説する。特に94年ルーキーながら前半戦で8勝を上げた阪神・藪恵市に対し「10勝できないのではないか。」と予言。
「踏み込みの左足の膝がやや左にずれる癖があるので、夏場や試合の大切な所で致命的なコントロールミスをする投手」とその後の特徴まで言い当ててしまった。
97年より近鉄投手コーチ。


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