レオン・リー

1952.4.17生
78-82ロッテ、83-85大洋、86-87ヤクルト
三塁手
右投右打
1255試合
4667打数1436安打
268本塁打
884打点
28盗塁
打率.308
○タイトル
ベストナイン(80,86)

リーブラザーズ

ロッテのレロン・リーの弟。
兄の薦めもあってマイナーでそこそこの成績を残していたが来日。ロッテでレロン・リーとともにクリンナップを打つ。
アメリカではアベレージヒッターだが、日本に来れば球場の狭さでホームランを量産すると言った90年代までスタンダードであった助っ人外国人の典型。しかし、その確率の高さとパワーが高いレベルでバランスを保っていた選手。
80年には打率.340、41本塁打、116打点と三冠王をとってもおかしくない成績ながら打率を兄リーに。ホームラン、打点を阪急マニエルに及ばなかった。
83年には大洋へトレード。当時弱小球団であった大洋にあって大活躍。スーパーカートリオとともにチームの看板選手となる。その間85年8月10日対広島戦で満塁本塁打、3ラン本塁打、2ラン本塁打と3発を放ち、その他に1打点を加えて、1試合10打点という記録を残している。
この年は110打点を記録したが、バースの134打点に及ばなかった。
86年からはヤクルトでプレー。86、87年と3割を超える打率を残していながら解雇されている。

 レオンの日本球界での活躍は周知の事実だが、給与面を筆頭に待遇が信じられないほど悪かったことは余り知られていない。
同僚の日本人と比較しても群を抜いて良い成績にもかかわらず、年俸が上がらなかったのは度々。ロッテ→大洋のトレード際の理由は
「日本人若手野手が成長してきたから。」である。

2003年より、レオン・リーはオリックスの打撃コーチを務める。日本球界引退後メジャーでスカウトをしていた彼は記者会見の席で「日本は大好き。経験を生かして勝利に導きたい。練習には1番に来て、最後に帰るつもり」と日本語で語った。
ちなみに契約金3000万円。年俸3000万円(推定)である。

息子のデレック氏はフロリダマーリンズの一塁手。

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