佐野仙好

1955.5.9生
74-89阪神
外野手
右投右打
1549試合
4826打数1316安打
144本塁打
564打点
45盗塁
53犠飛
打率.273

 73年ドラフト1位で中央大学より阪神に入団。当初三塁手であったが、同期の掛布に三塁のポジションを奪われ、普段は外野掛布が出場できない時は三塁。
掛布の影武者と言われていたが、掛布とのポジション争いに敗れ外野に専念してから勝負強いバッティングの本領発揮。
完全にヤマをはるタイプの打者で、読みが当たればボールだまであろうとスタンドへ運ぶ。一方勝負どころでは犠牲フライを打ち、非常に玄人受けする打者として地味な活躍をし、81年にはセ・リーグ初代勝利打点王を獲得。
 1977年4月29日。川崎球場で行われた対大洋戦。レフトライナーを追う佐野はフェンスに頭から激突。ボールは転々としランナーが生還した。近くにいたファンは「グシャ」と言う音を聞いたと言う。
試合は中断され球場に救急車が入ると言う球史に残る大事故に発展した。診断結果は頭蓋骨骨折。一時は生死をさまようが、見事復活し85年阪神優勝の立役者として名を連ねる。
佐野は事故後のリハビリ中、全国の身体障害者からの便りに励まされたとして、甲子園球場に年に一度身体障害者を招待する通称「佐野シート」を設けた。
この大事故以来、日本の球場にラバーなどの安全対策が施された。
1989年ライバルであり親友である掛布が引退した翌年、ひっそりとユニフォームを脱いだ。


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