畠山準

1964.6.11生
83-88南海
89-90ダイエー
91-92大洋
93-99横浜
投手・外野手
右投右打
・投手成績
55試合
6勝18敗
99奪三振
防御率4.74.
・打撃成績 862試合
1892打数483安打
57本塁打
240打点
8盗塁
打率.255
タイトル オールスター(93-95)

「山びこ打線」徳島池田高校にて名将蔦文也監督の下、エースで活躍。肘を使わずに投げる極端なアーム式投球で高校生離れした思い速球を投げ82年夏、全国制覇した。
82年ドラフト1位で、南海に入団。1年目83年6月22日の1軍デビュー戦では、1回を三人で片付ける。
プロ初先発は8月10日には、7回まで5安打無失点と好投したが、リリーフ陣が打たれて勝ち投手にはなれなかった。2年目84年には4月25日にはプロ初勝利、5月21日には初の完投勝利を収め、32試合に登板し5勝12敗5完投を記録し規定投球回数をクリア。
しかし3年目以降は悪いことが続く。怪我やフォーム改造の失敗などで活躍できず86年にはシーズンオフ中に交通事故も起こしている。ついに87年一軍登板が無く、高校時代4番として力強い打球を連発していた打撃に望みをかけ、打者に転向した。 しかし打者としても畠山はあまり好成績をあげることはできず、90年オフ、ついに自由契約。大洋にテスト入団する。これが畠山の転機となった。
91年、92年は少ない出場機会ながら当時の大洋には貴重な長打力がかわれて一軍に定着。そしてチーム名が横浜になった93年、128試合に出場、452打数127安打14本塁打72打点。打率.281。今までの苦労が一気に報われオールスターにも出場する。続く94年95年もオールスター出場を果たし96年からは一発長打が欲しいときの代打出場が増えたものの、99年まで横浜の看板選手として現役でプレー。98年には横浜の日本一に貢献した。
投手時代も打者時代も技術云々ではなく、力と経験と気合でプレーをしていた。毎年少しずつしか上達しないが確実にステップアップするタイプの選手で、南海時代もキャンプや試合前の練習で一心不乱にバットを振っていたことが印象的である。
99年、横浜で戦力外を言い渡されたときトレードの話も上がったのだが「横浜でプレーできないのなら、引退します。」と言ってユニフォームを脱ぎ、横浜ベイスターズの球団職員となっている。よほど横浜に対する愛着を感じているのだろう。

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