ホーナー

1957.8.6生
88ヤクルト
三塁手
右投右打
93試合
303打数99安打
31本塁打
73打点
0盗塁
打率.327
○タイトル

 88年4月ヤクルトと契約。前年までアトランタブレーブスの4番を打ち、9年間で215本塁打。事実上日本に初めて来た、現役大リーガー。
5月に来日すると5日の神宮球場の阪神戦でデビュー。仲田幸司の外角低め速球をライトスタンドにホームラン。続く6日には池田親興、中田良弘から3本のホームランを打ち、7日は外角球で逃げられたが8日の広島戦で2本。来日4試合で6本塁打と打ちまくった。
ゆったりした構えからバットを軽く握り投手のコース、球種に合わせて左右に打ち分ける。ここまでならそれまで活躍してきた外国人の典型だがホーナーはスイングスピードとインパクトのパワーが違った。どこへ投げても強くたたかれ、長打。当時のセ・リーグ投手たちにとって恐怖の対象であった。
それもそのはず。ホーナーは長いメジャー史上4人目のマイナーリーグ未経験選手。プロ入り以来メジャー以外ではプレーしていないエリート中のエリート。86年FA権を行使したホーナーだが当時選手の年俸の高騰が経営を圧迫していた球団側が申し合わせて高額年俸選手の獲得を自重していた。
結果4月になっても契約できておらず、困っていたところにヤクルトが当時としては破格の3億円を条件提示してきた。
浪人するよりはと来日。そして前述の大活躍。
シーズン中三振時に腰を痛めてしまい夏場から休み休みの出場となったが、出ればホームラン。結局打率.327、31本塁打、73打点。規定打席未満の選手で30本塁打以上は、史上唯一。
翌年もヤクルトはギリギリまで交渉を続けたがホーナーはカージナルスでメジャー復帰。だが怪我のせいもあって不調が続き、この年現役を引退している。
 来日当初打ち損じて内野ゴロを打ってしまったとき、一塁へ全力疾走する姿にメジャーリーガーとしての誇りを感じてたファンも多い。

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