モッカ

1950.9.29生
82-85中日
三塁手
右投右打
473試合
1699打数516安打
82本塁打
268打点
6盗塁
打率.304

最も愛された助っ人

82年パイレーツ、エクスポズ、ブルージェイズを経て中日に入団。いきなり打率.311 23本塁打 76打点と3番打者として活躍し優勝に貢献した。
非常にまじめで勤勉。練習熱心でファンにも笑顔を絶やさない性格は中日ファン以外からも愛された。
打撃技術は日本で成功する典型。ストレート、変化球、外角、内角とコース・球種にあわせて球に逆らわず、広角に打つ。どこへ投げても打たれると投手に思わせるタイプ。在籍4年間で3割を三度。本塁打も打つが基本的にヒットの延長がホームランと言う堅実派。
 だが守備はいただけなかった。アメリカでの本職は一塁手であったが、中日には当時不動の一塁手谷沢がいたため、三塁手へコンバート。グラブさばき、送球とも拙かったが、なんと言ってもその守備範囲の狭さが話題になる。自分の2m左を転がる打球にも全く動こうとせず、「不動のサード」と揶揄された。ちなみにショートストップは宇野。
それでもファンから愛されたのはやはり性格の良さ、そしてどんな状況でもあきらめることを知らないひたむきさから。
1982年9月28日対読売戦。4点リードされ9回裏。投手は絶好調の江川。誰もが負けを覚悟した状況でモッカは江川から本塁打を放つ。これをきっかけに中日打線は息を吹き返し同点に追いつき、10回裏には2死満塁から大島がサヨナラヒットを打ち、マジック12が点灯。勢いに乗った中日はこの年の最終戦大洋に勝利しセ・リーグ優勝を果たした。
 引退した1985年も4番を打つなど打率.301と活躍しているが、シーズン途中で球団から解雇を言い渡されている。解雇理由は助っ人としては物足りない13本の本塁打。そして、稚拙な守備。
 9月19日シーズン途中の解雇にも文句一つ言わず、笑顔でナインやファン、他チームの友人に挨拶し、試合終了後には中日ナインから胴上げされた。

 日本球界引退後はアメリカマイナーリーグのコーチ・監督、メジャーのコーチを歴任し。その間中日にバンスロなど優秀で日本向きの助っ人を中日に紹介している。2003年よりアスレチックスの獲得に就任。
2003年アスレチックスの開幕戦は東京ドームで行われる。対戦相手は少年時代モッカよりサインをもらって喜んでいたイチローのいるマリナーズとである。

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