ラインバック

1949.8.6生
76-80阪神
外野手
右投左打
565試合
2023打数598安打
94本塁打
324打点
33盗塁
打率.296
○タイトル
ベストナイン(79)

ガッツマン

 田淵が四番を打っていた時期に来日。
マイナーで三冠王を獲得するなど、そこそこアメリカでの実績もあるが、来日時の評価は低かった。
76年2月安芸キャンプで初来日。旅客機のタラップに降り立ったときカウボーイハットにボストンバッグ、ギターを持って現われたことで話題になる。キャンプでは変化球打ちに課題が発見されると、打撃コーチ山内一弘に食らいつくようにして教えを請い、変化球打ちを体得した。
 シーズンに入ってからも、ガッツマンぶりを発揮。バットを担ぎ気味に構え、投手の投げるコースにあわせて打ち分けるスプレーヒッター。ライナー性の打球で安打を量産。三振をすれば大声で悔しがり、守れば外野フェンスに激突しながらフライをもぎ取り、走ってはヘッドスライディング。
 ここ一番に滅法強く、特に79年6月2日江川卓のデビュー戦での逆転ホームランを記憶しているファンも多い。この年は打率.309、27本塁打、84打点でベストナインに選出されている。
阪神以外のファンからも人気が高く、79,80年にはオールスターにファン投票で選ばれている。
ブリーデンと共に阪神強力打線の一角を担った。
 80年守備のまずさと長打力の衰えから阪神を解雇。帰国後コンピュータ会社のセールスマンをしていたが、83年離婚。89年自動車で崖から転落死している。
 生前友人に「タイガースでもう一度プレーしたい。」と言い続けていた彼の部屋は、今でも白と黒で統一されたままだという。

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