宣 銅烈

1963.1.10生
右投右打
96-99中日
374試合
10勝2敗98S
奪三振228
防御率2.71
●タイトル
最優秀救援投手(97)

 韓国の至宝。高校時代から天才ぶりを発揮しており、光州一高で全国制覇。高麗大時代に世界青少年野球選手権で韓国を優勝に導く。
1982年には世界アマチュア野球選手権で優勝し、最優秀選手に選ばれる。
 ドラフト1位でヘテに指名されるも、契約金で折り合わず実業団の韓国化粧品に入社。
しかしヘテの地元光州のファンと母の熱望により、すぐにヘテ入りを決意する。当時韓国プロ野球とアマチュア野球の規定では
実業団入りした選手は2年間プロ入りできないことになっていたが、宣の才能と人気により、前半戦の出場停止という形で決着が付き
以後11年間で、146勝40敗132S。防御率1.20。最多勝4回、セーブ王2回。最優秀防御率8回。
 高い位置から投げおろすにもかかわらず球を放すのが非常に遅く低いため、高めの速球は浮き上がってくるように見えたという。
この160kmちかい速球と、140km台で鋭く曲がるスライダーで韓国打者を寄せ付けなかった。
95年オフ、輝かしい記録とともに日本移籍を表明。一旦読売入団確実の噂もありながら、中日に電撃的に入団する。
 日本球界1年目となった96年は調整の失敗と、日本プロ野球に対する楽観視が原因で5勝1敗3セーブに終わるが
97年から99年までは38、28、29とセーブをあげ、驚異的な活躍を見せる。
 99年オフに引退を表明。アメリカレッドソックスからオファーがあったが、契約金が折り合わず、そのまま引退している。


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