与田剛士

1965.12.4生
90-96中日
96-97ロッテ
98-99日本ハム
00阪神
148試合
8勝19敗59S
212奪三振
防御率4.58
●タイトル
新人王(90)最優秀救援投手(90)

速球王

 高校時代は無名。亜細亜大学では阿波野の一年後輩であったことと、右腕の血行障害のため活躍できなかった。
NTT東京に入ってから猛烈な投げ込みを行い、直球のスピードを上げていき、チームエース、全日本代表となり89年通称野茂ドラフトで中日に単独1位指名を受け入団する。
 90年4月7日対大洋戦11回にプロ初登板。いきなり152km/時の速球を投げ、以来速球一本でルーキーながらリリーフエースとなり、11登板連続セーブポイント、157km、オールスターにファン投票で出場とセリーグの話題を独占する。この年35セーブポイントをあげ新人王と最優秀救援投手のタイトルを獲得している。
 だが、2年目は社会人時代からのつけが一気に回ってくる形となる。酷使した肘を故障し速球どころかキャッチボールもままならない。92年には25セーブポイントをあげ、復活したかに見えたが93年から再び肘痛が再発。
 ついに96年6月にロッテへトレード。ロッテでは登板することなく98年自由契約。日本ハムにテスト入団。99年10月に5年ぶりの公式戦登板となったが1回を投げて1失点。同年オフに自由契約。00年阪神にテスト入団すると体全体を使ったフォームに修正を試みたが、ファームで2試合登板にとどまり、オフに阪神も解雇。そのまま引退した。
 見るからに肩に負担のかかるフォームから繰り出されるキレのいい150km代の速球は打者にとって脅威以外の何者でもない。オールスターで対戦した清原が「野茂の直球は大砲。与田の速球はピストル」と表現する通り、まさに弾丸のようにホームベース上を駆け抜ける速球は、短命ながら彼を多くのファンにとって忘れることのできない投手にした。

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