池田純一

1946.5.15生
65-78阪神
外野手
1024試合
2824試合686安打
80本塁打
295打点
23盗塁
514三振
打率.241
●タイトル他
オールスター出場(72,73)


世紀の落球

 八代東高校から64年エースで夏の甲子園出場。阪神には外野手として入団。投手の軸が村山から江夏へと徐々に交代して行った時期の阪神に在籍。巧打の外野手として活躍する。通常6,7番という下位を打つことが多かったが、生涯80本のホームランのうち5本がサヨナラ。しかも70年7月29日にはヤクルトのエース松岡から代打満塁サヨナラホームラン。勝負強いバッティングはファンからも人気があった。
昭和48年、V9を目指す読売と9年ぶりの優勝を目指す阪神がシーズン終盤激しいデッドヒートを演じていた。
 8月5日の甲子園首位として阪神は試合に臨む。9回裏2死までこぎつけた後、読売黒江の打球はセンター池田のもとへ。
 なんでもないセンターフライと思われたが、なんと池田は外野の芝生に足をとられ転倒。阪神は逆転負けを喫する。この試合で読売は勢いづき、阪神は最終戦に巨人に敗れ優勝を逃す、後に読売監督・川上が「あれで首の皮一枚つながった。」と言ったため、「世紀の落球」として語り継がれることになった。
 同時に阪神ファンは転倒した池田に集中攻撃をする。イタズラ電話や強烈な野次にさらされた池田はノイローゼになり、ラインバック、池辺巌の加入もあって78年引退。
 神戸市内で「ラッキーゾーン」という洋服店を営む。
86年アメリカのワールドシリーズ。レッドソックスのビル・バックナー一塁手は後に「史上最悪のトンネル」と呼ばれるエラーを侵し、チームは逆転負けでワールドチャンピオンを逃す。ベンチに入る前にテレビレポーターからマイクを突きつけられたバックなーは。 「今日の私のプレーを観たお客さんのすべてがこのプレーを一生涯忘れないだろう。私も忘れない、私はそのことを背負ってこれからの人生の糧にしたい」
 中継でこれを観ていた池田の目から涙を溢れた。

最終更新日2004.6.23

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