今週は何をおいても、九州の震災に触れなくてはなりません。
14日に続けて、15日深夜に発生した巨大な地震により、熊本県を中心に甚大な被害が出ています。
東大阪は阪神・淡路大震災の際は大きく揺れたものの直接的な被害がなく、東日本大震災も揺れはしましたがもちろん被害はない。
そんな後ろめたさが、このような形で蘇るのはとてもシンドいことです。
現在、被災されて大変な状態にある方たちが「助けて」と発信し、私たちがそれをキャッチすればすぐに駆けつけられるよう準備をしつつ、週刊ひがしおおさかは通常運転を続けています。
ここ数年、いや10数年でしょうか。ネットが発達してからというもの、災害時には盛んに「政府がこんな失態を犯した」「マスコミはこんなに横暴だ!」と叫ばれます。写真付きとかで。
もちろん、わかってない対応をする要人や人道に反するマスコミ人もいるとは思いますが、それよりも私はそんな「ネット世論」を展開する顔なき声がとても気になります。
週刊ひがしおおさかは、SNSのおかげで多くの人に知ってもらえるようになりました。Twitterはもうすぐ5000フォロワー。つぶやけば何かが返ってくる愛されようです。
Facebookからの流入を合わせれば、検索エンジンからの流入を上回り、正真正銘、ネット世論によって読まれている地域情報サイトです。
さて、ヘリコプターの飛行音がうるさくて救助の妨げになるという話があります。ここからドローンが使えないのか?という話題に及ぶと、大きく分けて2種類の反応が発生します。具体的に例をあげると
・マスコミ様は横暴でなにも考えていないからヘリなんだよ
・法的、人的、技術的な問題があってドローンは難しい
といった。しかし悲しいことに、より拡散されるのは前者の意見で、後者はかき消されてしまいがちです。事実がどうであったとしても。
これはなにも、ネットユーザーやSNSに住む人たちの中に、悪意が満ちているからではありません。
SNSを中心としたネットのメディアは、理屈よりも共感できるかで評価が左右されるからです。
上の例では「マスコミめ!」という意見のほうが「事情があるんだよ」という投稿よりも「うんうん」と共感されやすい。ネットで犯罪自慢をした若者が一気に拡散して社会的問題になったりするのも「なんてひどいやつだ」という感情に、多くの人が共感して発生します。デマの拡散も同じ構造です。
では、どうすれば「結果的に悪意となる共感」は防げるのでしょうか。「ソースを確かめてからリツイート」すれば減るのでしょうか。しかし、ソースを確認したところで「共感」はそう動かないでしょう。逆に共感からソースを盲信してしまう事も考えられます。
究極的に言えば、我々が「共感」をやめないことにはこの現象は収まらないのです。
以前、予備校講師の林修先生が「修辞学」を引用して「賢い子は『類似』『対比』『因果』が習慣になっている」とおっしゃっていました。
対立する2つの意見の似ているところを見つけ(類似)、相対するところを発見し(対比)、原因と結果を考える(因果)。この行動を私たちは理性とよんでいます。
そして「類似」「対比」「因果」を可能にするのは、成長期に大人からたくさんの疑問に答えてもらい、体系だった情報に多く接すること。「類似」「対比」「因果」を多く含んだ情報に接することが、理性的な選択を可能にします。おそらく、多くのえらい人が「スマホを捨てて本を読め」と言ってしまうのは、そういうことなんです。
ただ、利便性の観点から物理的な「本」を我々が選択するのは理にかなっていません。多くの人は、間違いなくスマホから情報を得ます。それもコラムや物語のような回りくどいものではなく、生の情報を欲しています。これは好むと好まざるによらず、後戻りはできません。
願わくば、週刊ひがしおおさかが、スマホで情報を得る若者に体系だった情報を提供できるように。理性の一助となるそんな存在でいられるように。
そして、すこしでも共感に頼らない行動を災害時に人々ができるように。
今週も週刊ひがしおおさかは、通常運転でお届けします。
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