サンコーさんが被災した!台風21号によって停電被害に見舞われた物流センターと日常を取り戻すために奮闘した人々の記録
- 2018/9/9
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東大阪には、台風は来ない。
台風21号が深すぎる爪痕を多くの場所に残すまで、東大阪人にはそんな甘い意識がありました。
かく言う私週刊ひがしおおさか編集長前田も、台風が近づく前には
「今回も台風一過を記事にしてPV稼いじゃえ」
くらいにしか思っていませんでした。
この記事は、台風およびその影響と戦った人々の記録である。
9月4日、私たちはその後迫る脅威をまだ知らず
ただ止まる交通機関による影響だけを心配していたのです。
「近鉄奈良線止まったらどうやって飲みに行こうかな」
くらいの気分だったわけです。
ところが、風がピークに達したであろう14時25分ごろ一報が入ります。
「サンコーインダストリーの東大阪物流センターが全館停電した」
日頃からねじ商社のサンコーインダストリーさんは、週刊ひがしおおさかにとてもよくしてくれている。ねじ倉庫見学会を実施してくれたり、社長さんや広報窓口の方たちだけでなく、物流センターで働くたくさんの人が週ひがの読者でありいつもネタを提供してくれる。
あんなに大きな倉庫が全部停電ってただ事ではない。そう思い、風がやむのを待って現場に駆けつけると…
なんじゃこりゃ!
予想をはるかに超える惨事。向かいの建物の屋根が強風ではがれ、飛んできたようです。
物流センターの6階に直撃し、窓を破りそのまま下へ落下。
その際看板をそぎ落として電信柱に引っかかった。さらに電線にも屋根は乗りかかり、周囲の電信柱を折ってしまったのです。
「東からの風が吹いていた時は、まだ耐えられた。台風が通り過ぎて南風になって、物流センターの南向かいのビルから屋根が飛んできたんです」
と振り返るのは森島さん。この物流センターの物流管理部長です。さすが、事故が起こった時の状況をはっきりおぼえています。
サンコーインダストリーの倉庫はいわば巨大なコンピューター。受注から出荷までがデータで管理されており、当たり前ですが電気が通らなくては業務ができない。何をどこに移動させればいいのかがわからない。
不幸中の幸いは大きな災害にあったにもかかわらず、1人の負傷者も出なかったことです。
突き破られた6階の窓の1番近くで作業をしていたアルバイトのAさんにお話をうかがいました。ギリギリでけがなく終えた瞬間を振り返ります。
「ピッキングをしていたら大きな音と同時に、ホコリなのか煙なのかわからないものが視界に入ってきて。腰抜かしながらとにかく逃げました。」
屋根が引っかかっているのは、入出荷をする物流センターの入口付近ということもあり、危険すぎて作業は何もできず。さらに停電もあるため業務継続は困難。この日は臨時休業となり各々が解散となりました。
「苦労して台風の中仕事をしたのに出荷できへんかった。」
奥山社長の一言が、たぶん商品に携わっていた全ての人の気持ちを代弁しているでしょう。
明けて、5日の朝。関西電力、きんでん他インフラ企業や多くのスペシャリストの奮闘もあって、電信柱に引っかかる屋根の撤去は完了。電線も復旧して、通常営業に向け始動かと思いきや。
「キュービクルが破損している」
と、新たな不具合が判明したのです。
キュービクルとは、たくさんの電気を使うビルや施設に取り付けられる変圧器。外から高圧の電力を受け取り、ビル内で私たちが使用できる低圧の電力に変換する装置のことです。
このキュービクルが、台風による横風と大量に吹き込む雨で故障してしまった。
キュービクルが機能しないと物流センターに電気が供給されません。
関西全域で大きな被害が出ていた日。高圧の電気工事を行えるスペシャリストたちは圧倒的に足りていなかった。加えて部品も不足する。
なんとか早期に復旧させよう。
この部品をどこかから調達できないか。
ここを直接つなげばいいのでは。
多くの専門家が知恵を絞りますが、
「復旧には4,5日かかる」
という絶望的な見解さえ出てきます。
「偉そうな言い方かもしれんけど、うちはねじ業界にとってインフラみたいなもの。1日でも早く通常営業を行わないといけない」
そう話す奥山社長と、サンコーインダストリーそして全国のねじを待つ人々を助けてくれたのが、株式会社日本電気保安協会。御厨に拠点のある企業さんでした。
サンコーインダストリーのピンチを聞き、物流センターに駆けつけると調査を開始。
そして出した答えが
「翌日昼に復電できる見込み」
です。
6日は朝から屋上のキュービクルで復旧作業が行われます。故障した部品を丁寧に取り替え、そして15時55分。
ついた!電気がきた!
念願の復電。48時間ぶりに物流センターが蘇ります。続けて、電源が落ちた9月4日でデータ更新が止まっているコンピューターの調整が始まります。実はこれが大変。
コンピューター上だけの都合ではなく、4日に受注してまだ入力できていないいわゆる「注残」もあり、さらに出荷できなかった商品も用意しなければいけない。
翌日からの通常営業に向けて、結局準備が完了したのは深夜。この2日間止まっていた業務が今堰を切ったように押し寄せてきたのです。
台風21号の襲来から数えて、3日。9月7日からサンコーインダストリー株式会社は通常営業を再開しました。
サンコーインダストリーの顧客の多くは販売店。業務開始とともに日本中からWEBや電話で注文が押し寄せます。
世界中どこを探してもサンコーインダストリーにしかないねじもあり、待ち構えていた全国のお客さんたちからものすごい数の注文が入ります。
そうなると物流センターの中は時間との戦い。通常では考えられない数の商品を出荷するために、たくさんの人が奮闘します。
瞬間的な停電は今までにもあったと言います。古株の社員さんは「1996年の阪神大震災の時も3日目には通常営業をしていた」と話すように、今回の台風21号による停電は間違いなく大きな危機なのです。それを、トップから現場までが一体となり乗り越えようと、今必死になっている。
少し落ち着いてきた夕方に、長田センターにおじゃましました。あのトライくんがペイントされている倉庫です。
ピークを超えたのか少しホッとした表情で「19時には終えられるんじゃないかと思うんです。このまま出荷が増えなければですけど(笑)」と話すのは、ねじ倉庫見学会の際にお世話になっている岡本さんです。
ところが、このあともどんどん売上は増え続け通常営業再開初日の売上は、過去最高額を突破。岡本さんたちは、何時に作業を終えることができたのでしょうか。編集長前田、まだ怖くて聞けていません。
奥山社長は、今回の停電による営業停止を振り返って
「全国のお客さんにとって、サンコーインダストリーはインフラのようになっている。インフラはまず止まらないことが重要で、次に止まってもすぐに動き始めること。そして、止まるなら事前に止まることをお知らせできなきゃいけない。」
と言います。これって、鉄道会社と同じ発想。現代社会に置いて「物流」はインフラになっているのです。
世界で唯一のことをお客様に提供しているからこその責任。
役割を果たすことの重要さと、だからこそ生まれるプライド。
倉庫の中を流れるねじ、出荷されていく商品たち。コンピューターと人の手で作られる質が高く安定したサービス。それを維持することの難しさ。
「台風が来たから、学校が会社が休みになる」とは次元の違う、日常を作る仕事の一端を垣間見ることができました。
と、ここで復旧は終わりではありません。
サンコーインダストリーは7日に通常業務を再開しましたが、あまりにも物量が多く、たくさん残荷をしてしまいお客様に多大なご迷惑をおかけしてしまっています。申し訳ありません。
残荷分を含め、8日土曜日には出荷を完了しています。 申し訳ありませんが、到着まで今しばらくお待ちください。#higao pic.twitter.com/OiYpYJ59cy— 奥山淑英 (@okuyama_sunco) 2018年9月8日
奥山社長のTwitterでも配信されましたが、7日の営業再開日は注文が多すぎて、受注した商品をその日中に出荷しきれなかったのです。
営業さんたちはお客さんに電話で謝って、8日もみんなで奮闘。ようやくすべての出荷が完了したとのことです。
サンコーインダストリーのみなさん全国のねじ屋さん、お疲れ様でした。
まだまだ影響は残ると思いますが、まずはひと区切りです。
これからも、素晴らしい日常を作ってくださいね。
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