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ボーナスミッション要員相当も、墓を残して400年を超える

■概要

大坂夏の陣の1つである「若江の戦い(1614年)」で徳川方として戦い、26歳で討ち死にした武将・山口重信の墓。討ち取った相手が、戦国マニアにはイケメン武将として地味に有名な豊臣方の武将・木村重成であることで有名。若江南墓地の中にあり、入場してすぐ左手に背を向ける形で立っています。
おそらく、建てられたときは現在のように周囲に工場等はなく、第二寝屋川も通っていなかったことから墓地の入り口は今と違ったかそもそも入り口がなかったか。

墓地の入り口。ここから一番目立つ墓は、重信のものではない。

それでも戦火も逃れ、口伝も含めて21世紀まで存在が残っています。
重信を破った木村重成も、信長の野望なら武力70くらい。戦国無双ならボーナスミッション要員相当でしょう。重信が登場すると、どんな立ち位置になるのでしょうか。

しかし歴史とは、そんな存在によって作られている。それがわかる史跡と言えます。

墓石前面に、若江の戦いの概要が彫られているとのこと。

■歴史

「若江の戦い」における山口重信の武功によって山口家は再興。弟(次男)の弘隆が重信の33回忌である、1647年に建てました。
墓の周囲の玉垣は弟(三男)の重恒が、灯籠は家臣の山口忠兵衛が1654年に、花立ては甥の重貞(弘隆の子ども)が1692年に寄進して、今の形になります。
また、隣には木村重成の墓も立っていたということですが、紆余曲折を経て今は第二寝屋川を挟んだ南向いの公園に移動しています。

■データ

歴史度 ★★★★★
密にならない度 ★★★☆☆
写真映え度 ★★★★☆

■アルバム

■アクセス

〒578-0935 大阪府東大阪市若江南町6

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編集長 前田

編集長 前田東大阪探検隊隊長・編集長

投稿者プロフィール

特定非営利活動法人週刊ひがしおおさか代表編集長兼東大阪探検隊隊長。
ふとした思いつきからはじめたWEBサイトが、13年。
これからは地域に嵐を呼びます。覚悟しろ!

好きなモノ:花園近鉄ライナーズ、阪神タイガース、競馬、ゲーム、プラモデル、楽でお金になる仕事。
嫌いなモノ:愛、本物

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