週刊ひがしおおさか編集長の前田です。
15年もサイトをやっていると、たまに大ヒットした記事にめぐりあいます。その中でも史上最大級に読まれた(読まれている)記事は、東大阪の難読地名に関するもの。
2011年2月に公開し、少しずつ更新している記事なのですが、11年経過した今でも毎日少しずつですがずーっと読まれています。みんな難読地名好きですね。
そこで先日、Twitterで聞いてみました。次の4つのうち、キングオブ難読地名in東大阪は?
#週ひがの質問
キングオブ難読地名in東大阪
を決めたいんで、投票とRTよろしくお願いします。— 週刊ひがしおおさか⚡️(8/1は情報ノーサイド) (@w_higa) August 7, 2022
5日ほど投票期間をさずけ、リツイートをお願いしたことからも
・総投票数1132票
・リツイート数101
という、#週ひがの質問(Twitterで行っている投票企画)史上最高の盛り上がりを得ました。素直にめちゃくちゃうれしい。
結果は、予想通りといいますか孔舎衙(くさか)が圧勝。ということで、キングオブ難読地名in東大阪に輝いた孔舎衙を表彰しに行ってきました。
表彰と言っても、誰にすればいいのか。あてもなく孔舎衙の名が残っている場所を散歩します。ここは孔舎衙公民館。
残念ながらすでに孔舎衙さんは現役(住所表記)ではなく、学校や子ども園、公民館に名を残すのみ。
でも、かつては孔舎衙村ってのがあったんです。今のだいたい孔舎衙中学校の校区くらいの範囲の。1955年、枚岡市誕生の際に他町村と合併して孔舎衙村の名はなくなりました。
だいたいね。この辺りの住所表記は「日下」なんですよね。それも孔舎衙よりずっと以前から日下。1600年代には日下が使われていたといいます。
一方の孔舎衙は1912年にそれまでの日根市村の村名を改名して登場します。
「孔舎衙は神武東征に出てくる地名」と聞いたことはあるんだけど、じゃ古くから使われる村名「日下」を大正元年に故事に倣って変更したってこと?
確かにそんな時代といえばそう。当時のことを知る人なんて誰もいないだろうし、資料もなさそう。でも何があったのか気になる。
ちなみに孔舎衙村の役場は今の日下リージョンセンターの場所にありました。
ということで、勝手に表彰。表彰状の授与は、インターンの毛利さんにお願いし、孔舎衙公民館さんと日下リージョンセンターさんを一方的に讃えます。
次回は住所表記に残っている地名だけで投票してみようかな。
プレゼント企画
本記事にて使用した孔舎衙さんへの表彰状は、、もちろん誰に渡すこともできませんでした。
せっかくなので読者の皆さんにプレゼントします。
ご希望の方は以下のフォームよりご応募ください。
応募締め切りは2022年8月21日。複数の方の申し込みがあった場合抽選になります。発表は発送をもって変えさせていただきます。
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