五郎丸選手を中心に、連日報道される日本代表の面々。2015年9月19日ラグビーワールドカップ南アフリカ戦のたった1勝が、日本のラグビー界を大きく変えました。
その大きな1勝をスポーツ専門チャンネル・J-Sportsの解説席で観ていたラグビー界のレジェンドがこう言いました。
「これで、僕のキックのシーンも使われなくなりますね」
2007年、フランスで行われたワールドカップの最終戦となったカナダ戦。日本代表の連敗記録を止めた試合終了直前の同点コンバージョンを蹴ったのは、東大阪市出身の大西将太郎でした。あのキックは、何度も何度もラグビーのワールドカップが紹介されるたびに流されました。
今回は、2015-16シーズン限りで現役を引退した、大西将太郎さんに、東大阪のことはもちろんラグビーのこと、その他たくさんのお話をうかがってきました。
− 将太郎さん、お疲れさまでした。と言ってもいいですか?
大西将太郎 はい。本当にしんどかったです(笑)
− 社会人だけで、16年。トップリーグ開始から連続フルタイム試合出場記録も樹立されました。
大西 今シーズンは春に大きな怪我をしてしまって。治ったらまた別の場所をやっての繰り返しでした。「怪我をしないように」と練習することがあって、特につらいシーズンでしたね。
− 引退を決断されたのは、どのタイミングですか?
大西 今季のラストゲームが花園だってわかった時ですね。
− ということは、1月のリコー戦に勝ったとき、ということですね。
大西 そうですね。デビューも花園でしたし、最高の舞台で幕をひけると思ったので決断しました。
花園は特別
− 将太郎さんのラグビー人生を振り返ると、まさに花園の申し子ですね。
大西 そうですね。思い出に残る試合は、ほぼ花園でやってます。花園って日本のラグビー文化そのものだと思うんですよ。花園をワールドカップを機に世界へ発信したいです。
− 花園はなぜそんなに特別でいられるんでしょう。
大西 うーん…。全てだと思います。場所も施設も、東大阪の人たちのラグビーに対する愛情なんかも含めて全てが花園を作ってるんじゃないかと。
− 深い。しかし2019年に向けてラグビー場は改修されます。一部では改修後も聖地としていられるかを心配する声も聞かれます。
大西 大丈夫だと思います。だって、僕らは改修前の花園に自転車で通って知っていて。平成に入ってから建て替わったけど、それでも花園は花園だったじゃないですか。
− バックスタンドがまだ土手だった頃ですね。確かにあの風情は今はありません。
大西 ハードも大切ですが、それだけじゃない。選手、東大阪の人たち、関係者、そしてファンの皆さんの関わり合いが作り上げている。それが花園だと思うんです。これこそ世界に誇れる日本のラグビー文化です。
「これで、僕のキックのシーンも使われなくなりますね」
− さて、昨年の南アフリカ戦。解説でおっしゃった「これで、僕のキックのシーンも使われなくなりますね」なんですが。聞いた瞬間「あ、ホンマや!」と(笑)
大西 いっぱい使ってもらってましたからね(笑)
− 少しさみしさもありましたか?
大西 いや、あの試合はそんな小さいことじゃないでしょう。逆に、こんなに歴史的な出来事で僕の記憶が塗り替えられるなら、光栄でもあるし、それだけ大きなことですよ。あの試合は。
− 将太郎選手が考えた、南アフリカ戦の最大の勝因は何でしょうか。あえて一つに絞って。
大西 一つとなると…マインドセットだと思います。
− マインドセット、心構えということですね。
大西 一緒に解説をした箕内さん(元日本代表主将)とも試合前にスコアを想定していたんですが、10-50とか20-50とかそんな感じで。でも、選手たちは勝てると思ってた。そういうチームを作ったのがエディ・ジョーンズのすごさですね。
− 確かに、周りは誰も本気で「勝てる」と言えてなかったですもんね。
大西 番狂わせの起こりにくいラグビーで。どんなスポーツを含めても1番のジャイアントキリングです。
− すべてが上手く行った結果でもあります。
大西 それはありますね。あの試合の中だけではなく、大きな怪我をした主力選手もいなかったですし。どちらかと言うと「間に合った」選手が多かったですよね。
− マフィ選手や真壁選手ですね。
大西 僕がでた時(2007年)は大畑さんが怪我をしたり、SHが2人続けて怪我をしたり。今回はそういうのがなかった。これも大きな要因の一つだと思います。
東大阪が生んだラグビー界のレジェンド大西将太郎さん。次回は2007年のワールドカップについて、もっと掘り下げてうかがいます。
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