東大阪の顔!元ラグビー日本代表・大西将太郎(2) 2007年のあのキックの意味

   

2007年、フランスで行われたワールドカップの最終戦となったカナダ戦。日本代表の連敗記録を止めた試合終了直前の同点コンバージョンを蹴ったのは、東大阪市出身大西将太郎でした。

前回は、RWCへの思いや、花園に対する思い入れなどをお聞きしました。

今回はあのキックに至る過程。そして、学生時代から憧れたワールドカップについてうかがいました。

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2007年フランス

− もう一度、2007年に時間を戻します。あの時の対戦相手は初戦がオーストラリア、その後フィジー、ウェールズ、カナダと続きました。結果は3敗1分。

大西 SHがいなくなったのがフィジー戦です。

− 長いロスタイムでのアタックも印象に残っています。

大西 トライを取れば逆転といった展開で、SHの本職はいないのは大きかった。相手も疲れてきたし、ここからテンポを上げていかなきゃって時ですから。

− タラレバはダメですが、31-35一歩届かずの敗戦。アクシデントがなければ、ロスタイムでトライを奪えていたようにも思えます。

大西 フィジーに勝てていたら、カナダにも勝てたと思うんですよ。そしたら2勝。歴史を変えられてましたね(笑)。

− とは言っても、ワールドカップの連敗を止めるあのコンバージョンは、伝説。まさにレジェンドです。

大西 うーん、僕、前半に1本キックを外してるんですよね。それがなかったら、勝ってたんですけどね(笑)

− いや、確かにスコア的にはそうなんですけど(笑)

大西 まず、あそこまで交代させなかったカーワンHCに感謝ですね。その前に使ってくれた、信頼してくれたことがうれしかった。

− そうですね。信頼しないと、使えない。

大西 コーチが信じてくれたことに、恩返ししなきゃって想いが強かったですね。そして、最後のコンバージョンでやり抜いた。それまで僕のラグビー人生はあと一歩足らないことばかりだったけど、やり抜けた。

− あのときに想定できる最大の成果ですね。

大西 W杯を14連敗で止めて、プール戦の最下位を免れて、これでたくさんの報道陣が日本で待ってると思ったんですけどね。

− けど?

大西 空港に降りたら、記者はたった2人でした(笑)

− えー(笑)

大西 やっぱり勝たなあかんのかって、実感しました。

 

「あと一歩」が足らない

− さきほど「あと一歩足らなかった」とおっしゃってましたが、輝かしいキャリアに思えます。ずっと試合に出ているイメージですし。

大西 そういえば、僕ずっと出てましたね(笑)でも足らないことが多かったですよ。高校3年の花園では、決勝で負けてしまいました。大学でも準決勝までしか進めていない。

− 第76回高校大会決勝。今でも伝説として語り継がれる啓光学園対西陵商業ですね。

大西 あの大会、僕たちは2回戦で熊谷工業、3回戦で秋田工業、準々決勝で佐賀工業、準決勝で東福岡。

− うわー、きつい大会でしたね。

大西 どの試合も接戦やったんですが、準決勝の東福岡戦が1点差(20−19)がとにかくしんどくて。

− 決勝は大阪対決かとささやかれていましたが、第2試合で大工大が西陵に大差で敗退でした。

大西 決勝は完全に勢いにやられたました。

− ロスタイムに入ってから、トライを許し逆転負け。

大西 縁って面白いもんで、現役最後にお世話になった豊田自動織機シャトルズは、西陵OBの方も多いチームなんです。あの時対戦相手だった山田監督(元日本代表山田耕二氏・当時の西陵商業監督)は豊田自動織機の総監督をされていた時期もあるんですよ。

− それは、縁としか言いようがないですね。大学は憧れの同志社大学。

大西 とにかく憧れていました。ラグビーを始めてからずっと、あの紺グレに。

− 大学でも1年生から試合に出て、日本代表にも選ばれる。4年ではキャプテンにして関西全勝優勝。言うことなしです。

大西 大学時代の一番思い出に残るのが、4年の対明治大学戦。大学選手権です。めちゃくちゃ花園に人が来て(笑)

− 今でも花園で伝説になっている2003年の試合ですね。大学選手権予選リーグ最終戦。64-40で勝利しています。

大西 でも、準決勝で関東学院大学に負けました。ここでも一歩届かなかった。だからあの2007年のコンバージョンは吹っ切れた瞬間だったんです。あと一歩で足らなかった自分との決別という意味で。

− 実は、大学生で代表に選ばれていましたが、ワールドカップは2007年が初めての出場だったんですよね。

大西 若いうちに選ばれて、、、あの時は天狗でしたね(笑) それが、選ばれないようになって、そうなると人一倍選ばれたい、出たいって思うようになるんです。あのワールドカップは、気持ちでは誰よりも思い入れがありました。

− 出られない日々が、大西将太郎を鍛えた。

大西 五郎丸選手が昨年のワールドカップで大活躍したでしょう。彼も早稲田大学時代に代表に選ばれたけど、その後呼んでもらえなかった。その期間があったからこそ、あの活躍がある。そうやって、うまくいかない時期があった選手のほうが、歴史の転換点には活躍できるんじゃないかって思います。

稀有な体験をたくさんしてきたからこその、大西将太郎さんの深い話。次回は少年時代のこと、東大阪のことを聞いてしまいます。

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編集長 前田

編集長 前田東大阪探検隊隊長・編集長

投稿者プロフィール

特定非営利活動法人週刊ひがしおおさか代表編集長兼東大阪探検隊隊長。
ふとした思いつきからはじめたWEBサイトが、13年。
これからは地域に嵐を呼びます。覚悟しろ!

好きなモノ:花園近鉄ライナーズ、阪神タイガース、競馬、ゲーム、プラモデル、楽でお金になる仕事。
嫌いなモノ:愛、本物

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