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調べてみよう、花園競馬場は本当にあったのか
- 2017/4/15
- ラグビー, 花園競馬場はあったのか
- 2 comments
現在、2019年のラグビーワールドカップに向けて改修中の花園ラグビー場。
万単位の人を集めることができる、東大阪市随一の観光資源としても、さらに重要になっています。
そんな花園
「ラグビー場ができる前は競馬場があった」
と言うのは、ラグビーファンや郷土史マニアの間では有名な話です。
Wikipediaを見てみると、
1926年 – 大阪府中河内郡英田村(当時)の大阪電気軌道(大軌)社用地に花園競馬場が開場するも、数回の開催を行ったのみで閉鎖。
とあります。大阪電気軌道とは現在の近鉄の前身。
しかし、実はあまりしっかりした論拠がありません。
4月某日、大阪府内の喫茶店で「花園競馬場の謎」について、記者に資料を見せ説明してくれた人がいます。
おそらく、上記Wikipediaの記述の元になった記事を書いたブロガーsakataishizukaさん。
ライナーズファンにはおなじみの「sakataishizukaのブログ」を運営されています。
近鉄ラグビーのファンを続けて50余年。花園ラグビー場やライナーズの歴史について、過去の新聞記事や資料を紐解き、成果をブログに掲載されています。
近鉄ラグビー研究の第一人者と言っていいでしょう。
「ネット等の定説によれば、1926年2月に3日間の開催となっているのですが、その論拠となる資料がまだ見つからないんです。」
と話すsakataishizukaさん。
実は記者も以前、花園競馬場に関して少し調査したことがありました。しかし、松原地区の郷土史書にも記述はありませんし、地元の老人たち(100歳近いみなさん)に話を聞いても、みな記憶にないと言います。
だから私は、花園競馬場の話は論拠なしと結論づけていました。
この日、sakataishizukaさんが見せてくれたのはある大阪朝日新聞の記事。
1926年11月に「小作人と競馬場施設工事業者との間でトラブルが」とあります。
このトラブルは東大阪市史にも記載が。
となると、少なくとも競馬場を建てようとしていたことは事実のようです。
しかし、1926年2月に開催があったとする定説と食い違います。数日の開催で終了した競馬場の工事に関し、9ヶ月後にトラブルがあるのは不自然です。
「その他の資料によると、1927年夏にはラグビー場の話が大軌の社内で出てきている。1926年2月という定説は誤りで、1926年12月か1927年2月あたりに開催されたと見るのが自然ではないでしょうか」
90年以上の長い年月で、少しずつ食い違いが出た結果、事実と違う歴史ができてしまうのはよくあること。
当時、競馬の開催は大流行していた事業。1904年の日露戦争や1914年の第一次大戦を機に、有能種馬を選定するため政府が奨励していた時期とも重なります。比較的近い場所で、同じような時期に開催された八尾競馬場は2週間で認可が降りています。この例からも、競馬場建設の目処が立てば許可が降り、すぐに開催できたようです。
11月に花園でのトラブルが解決し、簡易的な客席を突貫でつくれば。いや、トラブルの段階ではほぼできていたのかもしれません。
簡易的な客席と草競馬のようなトラックで、12月や翌年の2月に競馬を行うことも可能でしょう。
「残念ながら、私の調査も今はここまでです」
とコーヒーを飲みながら、話すsakataishizukaさん。
これは、週刊ひがしおおさかの力の見せ所でしょう。
まずは、競馬開催の根拠となるものを調査します。
・競馬開催の写真
・競馬開催を知らせる新聞記事
が出てくれば最高。
その他、競馬開催について知っておられる方への聞き取りなど、少し時間はかかるでしょうが、sakataishizukaさんとともに調べていきたいと思います。
この記事を読んだ方。何か気になることがある方は
info@w-higa.com
までメールをお寄せください。
どんな些細なことでもかまいません。小さな情報が、真相の解明につながります。
コメント
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『河内どんこう』120号にも何か書いてあったような…。
なにそれ?