日本代表キャップ33。あの、2007年ラグビーワールドカップ・カナダ戦での同点コンバージョン。トップリーグ連続フルタイム試合出場記録61。ラグビー界のレジェンドと呼ばれるにふさわしい、数々の記憶と記録を多くのラグビーファンに残して、大西将太郎は2016年引退しました。
最終回の今回は、トップリーグのことや今後の活動のことについてたくさんのお話をうかがいました。
トップリーガーとして
− 石切小学校から啓光学園中学・高校、同志社大学。いよいよ社会人ラグビーへ進むわけですが、将太郎さんが選ばれたのはワールドでした。僕は神戸製鋼に行くもんだとばかり…(笑)
大西 同志社に憧れるのと同じくらい、平尾さん(平尾誠二氏 元神戸製鋼・日本代表)にも憧れていましたから、迷いました。でも神戸製鋼に入ってしまうと、一生平尾さんを越えられない気がしてきたんですよ。
− 気がついちゃったんですね。
大西 学生で日本代表に選ばれたのも平尾さんが監督の時ですし、恩もあると思ったんですが、倒す方(ワールド)を選びました。
− まだトップリーグはありませんでしたよね。
大西 関西社会人リーグでした。1年目で神戸製鋼に勝つことができた時は、めちゃくちゃうれしかったですね。2年間社員選手として活動したあと、トップリーグスタートと同時にプロ選手になりました。
− 社業をする将太郎さん。あたりまえのことなんですが、今からは想像できませんね。
大西 社員選手と言っても、ある程度の時間になれば練習に向かいますから、重要な仕事はさせられない。秘書課にも配属されていましたが、今思うとボディーガードみたいな役目だったりとか。
− 日本代表がボディーガードってそれはそれで豪華ですよ(笑) プロになられた理由は何でしょうか。
大西 「今しかできないことをしよう」って思ったんです。ラグビー選手の寿命は短い。だから今は全力でラグビーに打ち込もうと。引退したあとのことは、引退してから考えようと思いました。
− その後、プロ選手としてワールドからヤマハ発動機、近鉄、豊田自動織機とキャリアを重ねられます。
大西 ワールドからヤマハに移籍するときは、日本代表でヨーロッパに遠征中に次の年の契約ができないことになったんですよ。メンバー表の自分の所属の欄が「日本協会」となっているのを見て複雑な気分になったりしました(笑)
− すぐにヤマハに移籍です。
大西 大学の後輩や周りの人が動いてくださって、行き場のない僕のためにチームに打診してくれたんです。ヤマハスタジアムは本当にいいスタジアムで、僕のキックも調子が良くなりました。磐田はどこへ行ってもジュビロを愛してくれる人がいて、ラグビーに集中できる良い環境でしたね。
− RWC2007もここで迎えられます。その後近鉄ライナーズへ。本拠地は花園ラグビー場。将太郎さんにとって、超地元です。
大西 それまでも何度かお誘いは受けていたんですが、決まった後だったりとタイミングが悪かったんですよ。この時は、ヤマハがプロ選手との契約を白紙にした年で、真っ先に近鉄が誘ってくれました。
− 期するべきものがあった。
大西 本当に超地元ですし、その時の年齢を考えても「俺はここでラグビー人生を終えるんだ」と思いましたね。やっと恩返しができると。
− 4年間の在籍。さすがのプレーで、花園を沸かせました。特に記憶に残る試合はありますか。
大西 近鉄でということではないのですが、移籍した年は前年まで所属していたチームに絶対負けていないんですよ。2006年のヤマハではワールドに勝ちました。2010年の近鉄では近年全然勝ててなかったヤマハに同点。あれも高くんがキックを決めてくれたら勝てたんですけどね(笑) それから2014年の花園で、豊田自動織機では近鉄に圧勝です。
− その試合、覚えてます。将太郎さんの目が試合前からやばかった日ですよ(笑) 写真を撮りながら「スンマセンでした」って思いましたもん。
大西 これでワールドの1年目に神戸製鋼に勝ったことを入れれば、かなり胸をはっていいことやと思ってます。
− 根性入ってますね(笑) 根性といえば、近鉄時代のNEC戦。残り20分で21点をひっくり返したラストのコンバージョンも思い出されます。
大西 あの試合で、チームの一員になれた気はしました。すごい試合をしめくくれましたし。
− ファンもあの瞬間に将太郎さんにすべてをタクせるようになったと思います。それだけに近鉄退団の時は「大西を辞めさせたらアカンやろ」とファンがツッコミを入れていました。
大西 そう言ってくれるとうれしいですね。でも契約のことなんで、なかなか。
− そのまま引退を考えたりもしませんでしたか。
大西 引退するには、まだ体が動いちゃったんですよね(笑) そんな時にトップリーグに昇格したばかりの豊田自動織機から誘いがあったんです。求められる限りはやろうと思いました。
引退後のプラン
− そして、いよいよ引退ということになりました。今後のプランなどはありますか。
大西 もちろんラグビーが大好きですから、指導者を目指したい。でもラグビーの素晴らしさを伝える仕事で、ラグビーに関わるのも魅力的です。引退を決めてから、多方面からお誘いをいただいているのですが、未定です。
− 引退後、すっかり解説業も板につかれていますが。
大西 今だけちゃいますかね(笑) 呼んでいただける限りは頑張って引き受けようと思っています。
− 金曜日から月曜日までずっとテレビで見続けた週末もありました。
大西 サンウルブズのプレビュー番組、試合の解説、シックスネイションズの解説から徹夜で週刊ひがしおおさかのイベント。とかでしたね(笑)
− その節は無理を言いました。
大西 いや、ありがたいです。動ける今のうちに、いろんなことをしたいですし。あと、せっかく花園が東大阪の持ち物になったんですから、僕もなんか役に立ちたいですよ。「花園PR大使」とか週ひがさん作りません?僕、めっちゃやりたいですよ。
− いや、うちあんまり権力ないんで(笑)
大西 じゃ、えらい人に会ったら言うといてくださいね(笑) 僕今、東大阪にめっちゃ恩返ししたいんで。
− うちが今できることと言えば、恒例のお姫様抱っこくらい。と言うかしていただきたいというか。
大西 みんなやってるやつですよね! わかりました。こちらこそよろしくおねがいします。
なんと、インタビュー当日にめばちこを患って、眼帯をしていたmihorobot。タイミングが悪いとはまさにこのことで…。
東大阪が生んだ、ラグビー界のレジェンド大西将太郎。今後の活躍に期待せずに入られないインタビューでした。
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