山口県出身のホッケー梶間です。
ぼくが大学生で、週ひがでインターンシップをしていたときのこと。
「山口にラグビーの取材行くんやけど一緒に来る?社員旅行も兼ねて、次の日に1日観光しようと思ってるんやけど」と、編集長に言われました。
地元大好きなぼくは「もちろん行きます!」と即答。
どこを案内するか迷いましたが、当時大河ドラマの舞台になっていた萩市へ。
萩には、ぼくのおじいちゃん家があります。養蜂家で、小田養蜂場の社長。はちみつの生産・販売を行っています。
せっかく近くに来たので、「おいしいはちみつを知ってもらいたい!」と、週ひが一行でおじいちゃん家へ向かいました。

母方のおじいちゃん家です。
県の養蜂組合で副会長を務めたことがあるおじいちゃんは、養蜂の歴史、はちみつの作り方などを細かく説明してくれました。

現在は、おじいちゃんとホッケー梶間の叔母さんが生産・販売しています。おじいちゃんは今年で米寿。
「初めて蜂に出会ったのは小学生のとき。先生がカゴに入れて学校に持ってきっとった。その先生に山に連れて行ってもらって、巣箱の中のはちみつを吸わせてもらっていたんよ」と、おじいちゃん。
小さい頃から蜂に親しんできたおじいちゃんは、昭和21年頃にお兄さんとニホンミツバチの種蜂(1匹の女王蜂と数千匹〜数万匹の働き蜂が入っている巣箱のこと)を飼い、養蜂の道へ。種蜂は当時の値段で1箱2000円、今でいうと約30000円にもなるそうです。
「卵を産む女王蜂は1箱に1匹しかいない。箱から飛んで逃げ出さないように、羽を切り落とす。でも、自ら産んだ蜂を食べてしまうっていう失敗もあったんだよ」と、苦労話も聞かせてくれました。
1箱から始めましたが、レンゲの蜜が多く取れるようになり、昭和45年には150箱、翌年には250箱まで増やします。
さらに、鹿児島にも巣箱を置き、蜜を採取。これまでは国からの援助を受けながら行ってきましたが、昭和60年に自己資金で回せるようになりました。
萩市内で多いときは40人いた養蜂家ですが、蜜が採れる花の減少により、現在はおじいちゃんたった1人に。山口県内でも、100人程しかいないそうです。
おじいちゃん家で販売しているはちみつがこちら。

ショーケースの中にずらりと並びます。

小さい頃から当たり前にローヤルゼリー(左上)を食べていたので、貴重なものとは知らずに育ってきました。
おじいちゃんは週ひが一行に、はちみつをプレゼントをしてくれました。
編集長は「これ、東大阪で流行らせたいな」と大興奮。
ぼくも「おじいちゃんが苦労して作ってきたはちみつを色んな人に食べてもらいたい。おじいちゃんが元気な間に、東大阪の人たちが喜んでいたことを伝えたい」と思い、東大阪で使ってくれるお店を探すことにしました。
詳細については、次号にて掲載します。
「週ひがはちみつプロジェクト」始動。これからはちみつを使って、色々なことに挑戦していきます。
ホッケー梶間のおじいちゃんが育てた蜂で作ったはちみつを、ぜひともご賞味あれ!
【週ひがプレゼント】
抽選で2名の方にはちみつ(百花蜜orみかん蜜)をプレゼントします。※はちみつの種類は選べません。
締切は5月19日(日)23:59まで。下記フォームからどしどしご応募ください。
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