FC大阪吉澤会長にインタビュー1 サッカーとの出会いとブラジルでの経験

2月25日(火)に「Jリーグ百年構想クラブ」の認定を受けたFC大阪。
今年度の日本フットボールリーグ(JFL)で「4位以内かつJリーグ百年構想クラブを持つ上位2チーム」「年間入場者数30000人」をクリアし、Jリーグ理事会で入会が認められれば、J3リーグに参入できます。
今シーズンは東大阪市花園ラグビー場第2グラウンドでも7試合ホームゲームを行う予定です。

昨シーズンは、近藤祐輔取締役副社長キャプテン・副キャプテンにインタビューさせてもらいました。
今年のFC大阪はJ3リーグ参入がかかった年。ということで吉澤正登会長に、これまでのサッカー人生やFC大阪を立ち上げた経緯などをインタビューしてきました。
吉澤会長の睡眠時間は、なんと2時間!その理由とは…。

歴代のFC大阪のユニフォームが飾られた部屋でインタビューします。

ー吉澤会長、今日はお時間いただきます。よろしくお願いします。

吉澤会長 こちらこそ、よろしくお願いします。

ーいきなりで失礼なのですが…ご年齢をうかがってもよろしいですか。

吉澤会長 1966年10月6日生まれで、53歳です。

ー50歳を超えられてるんですね。失礼ながら、もっとお若いかと思っていました。

吉澤会長 それはありがとうございます(笑)。

ーやはり、子どもの頃からサッカーをされていたんでしょうか。

吉澤会長 小学生、中学生のときは地元のクラブチームでプレーしていました。当時、子どもたちはサッカーをするか野球をするかといった雰囲気で、自分にあうのはサッカーだなと思ってサッカーを選んだんです。

ー「合っていた」と言いますと?

吉澤会長 あまり記事になる話ではないかもしれないのですが…野球をする子どもたちは当時みんな丸坊主でして、それは、自分には無理だなと(笑)。

ーなるほど(笑)。10代でブラジルへ留学に行ったとお聞きしました。何か理由があったんでしょうか?

海外でサッカーをすると聞くと一見楽しそうに感じますが、実際はそうではありません。

吉澤会長 当時はJリーグ発足のずっと前です。サッカーだけで生活するというのは難しい状況でした。その分、サッカー少年たちにとってブラジルでサッカーをする、プロになるというのが憧れだったんですよ。

ーでも、30年以上前にブラジルでサッカーをするなんて…。想像しただけでも大変そうです。

吉澤会長 もちろん、順風満帆にはいきません(笑)。特に当時のブラジル人には「日本人=サッカーが下手」というイメージが強かったんです。試合に出てもボールは回って来ません。最初はずっとボール拾いのようなことをしていました。

ーそれって、差別というか、いじめというか…。

吉澤会長 ブラジルのチームには毎月セレクションのようなものがあるんです。毎月クビになる選手がいる。「下手な日本人にボールを回してクビになるくらいなら回したくない」という声も聞きました。なので、生き残る選手はとにかくチャンスを逃さない。

ーそんな環境で育つブラジルは、強いはずですね。吉澤会長は、どうやってチームに馴染んでいったんですか?

吉澤会長 自分で言うのもなんですが、僕は足が速かったんです。決定力もあったので、徐々に結果を出していきました。そうするとチームメートに認められるようになって、気づいたら周りから頼られるようになっていました。

ー自分自身でチーム内での地位を築いていった。すごい精神力です。

吉澤会長 今も馴れ合いや妥協という言葉は好きではありません。友達となんとなく意見を合わせたり、なんとなく遊びに付き合ったりしていた選手は、真っ先にクビになる。そんな環境で育ったから、仕事に対しても厳しくいられるんだと思っています。

ーサッカーで生き抜く環境が、人間を作っていった。他に、ブラジルで身についたと感じることはありますか。

吉澤会長 今も残っているものだと…実は私、ショートスリーパーなんですよ(笑)。

ーえ?ショートスリーパーって、睡眠時間が極端に少ない人のことですよね??

吉澤会長 たぶんなんですが、今も僕はブラジル時間でリズムができていて、時差ボケが残っていてると思うんです。だいたい1日に睡眠は2時間。その証拠に、ブラジルに行くと8時間くらい寝ます(笑)。

ーそれはにわかには信じがたいんですが…(笑)。会長がショートスリーパーなのは皆さんご存知なんですか?

(同席していたスタッフさん) はい、それはもう(苦笑)

昨シーズンのアウェー・FC今治戦。吉澤会長も来られていました。

吉澤会長 僕が夜中に思いついたことをどんどんメールしたりするんで、疋田晴巳社長は大変だと思いますよ(笑)。

ーあははは(笑)。でも、それくらい体にブラジルでの生活が染み付いているということですね。ブラジルではどこのチームでプレーを?

吉澤会長 最初は当時セリエAのポルトゲーザの下部組織でプレーをしていました。

ーセリエAって最高峰リーグってことですよね?!

吉澤会長 今は確かセリエDですが。結局プロサッカー選手としては、24歳までプレーしていました。

ーなんと言いますか、ブラジルの頂点のリーグでプレーしている日本人選手があっさりと「24歳まで」と聞くともったいないなと感じてしまいます。まだできるのに…。と。

吉澤会長 両膝をケガしてしまったんですよ。

ーあー…ケガですか。それは、仕方ないですね。

吉澤会長 治ればまたプレーはできたとは思います。周囲もそう言ってくれました。でも、練習に行くのがしんどくなってしまって。

ー…後遺症でしょうか?

吉澤会長 体のケガよりも心のケガとでも言うんでしょうかね。そこがダメになりました。


インタビュー2では、サッカー引退後からFC大阪立ち上げについて聞いていきます。


ホッケー 梶間

ホッケー 梶間

投稿者プロフィール

山口県出身。
大学生のときに大阪にやってきました。
高校からホッケーを始め、現在もやっています。
なのでホッケー梶間です。
10chとYouTubeを見て生きています。
食べに行ったお店の中で1番カロリーが高そうなものをだいたい注文します。

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