3月5日、ねじ総合商社「サンコーインダストリー株式会社」に東大阪市の野田義和市長が訪れました。
昨年11月、ギネスブックに「世界最高齢総務部員」として認定されたサンコーインダストリー株式会社総務部付け課長玉置泰子さん(90歳)に、東大阪市が市長賞詞を交付したのです。
市長賞詞とは。
東大阪市民に深い感動を与えたり、市の施策に大きな貢献をしたりした人に対し栄誉とよろこびとしてたたえるもの。スポーツや芸能の世界大会で活躍した人や、特定ジャンルで大きく貢献した方に交付される、言ってみれば東大阪市版国民栄誉賞です。
今までに、陸上競技100mの多田修平さんや、ラグビー日本代表のトンプソンルークさん、囲碁の井山裕太さんなどに交付しています。
荒本から長田にかけてバカでかい物流センターをもち創業72年を迎えるサンコーインダストリー。
本社は大阪市西区立売堀ですが、現会長の奥山泰弘さんが物流センターの立地候補地に悩んでいた時
「家(枚岡)と本社の間がいいのでは」
と進言したのが玉置さんなんだとか。今や数百人規模の雇用を生む事業所ができるきっかけを作り、東大阪市にとって恩人であるとも言えます。
勤続年数65年、今も公共交通機関と自分の足で週5出社。すぐに車移動を選ぶ週ひがメンバーは、もうホンマに、すんませんとしか言えません。
野田義和市長(64歳)も「90歳まで市長をという意欲がわいてきた」と政治家色120%のコメントで周囲を笑わせます。
通常なら市長賞詞の交付式は東大阪市役所で行います。しかし「コロナ禍もあるし、大先輩にご足労いただくのはいかがなものか」という観点から野田市長自らがサンコー本社に。
この「世界最高齢の総務部員」というギネス記録は、新設されたカテゴリーです。サンコーインダストリー社内から「玉置さんはギネスいけるんじゃないか?」と声があがり、会社がギネスブック事務局とコンタクト。約半年の準備を経て昨年11月に認定されました。
認定式は12月28日に行われ、テレビ・新聞・ネットなど、多くの報道機関が報じ玉置さんは一躍時の人に。
この2ヶ月と少し、毎日のようにメディアを賑わせています。
さて、ここからは週刊ひがしおおさかが個人的なことを。
2019年5月、週刊ひがしおおさかは株式会社を設立しました。その名は「株式会社週ひが」。長くNPOとしてやってきましたが、より事業の幅を広げるとともに資金調達を主たる目的にしていました。
株主は、編集長前田とサンコーホールディングス。そう、サンコーインダストリーの持株会社で玉置さんの現在の所属先です。週刊ひがしおおさかはサンコーグループになったのです。
登記の直前、書類に最後のハンコを押す時。私とサンコーホールディングスの皆さんで簡単なミーティングを行います。そこにも玉置さんがおられました。
ハンコを押して、司法書士さんに諸々をお任せしたあと、編集長前田に玉置さんはこう言ってくれます。
「私にはよくわからへんけど、この週刊ひがしおおさかというのはフリーペーパーですか?それならサンコーから求人とか広告をたくさんもらってください。商売は儲けないとダメだから。大丈夫です、サンコーは今儲かってますからね」
出席者全員、爆笑。玉置さんにしか言えないひとことで株式会社週ひがの方向性もなんとなく決定した瞬間でした。そして2年、ワールドカップの喧騒やコロナ禍もありながら、私たちは今までなんとかやってこれています。
話を市長賞詞に戻します。交付が終了し、玉置さんの記者会見が行われます。場所は2年前に「株式会社週ひが」のハンコを押した、玉置さんが私たちの背中を押してくださった会議室。あの時と同じように、玉置さんが聞き取れなかった言葉を若い社員さんたちで通訳をしながら行われます。
記者からの質問が出尽くした時に、個人的な話として私は
「僕、遅刻魔なんです。今日も実は交付式の5分前ギリギリに到着しました。どうやったら治りますか?」
と聞きました。それに対し、それまでにこやかに記者対応然とした表情から一変し、
「遅刻したから怒られるとか、そんなことではなく。ただ自分の行動に責任を持つようにしてください。」
と、しっかり叱られてしまいました。
はい、責任持てないんで遅刻しないようにします。
人間は年齢を重ねると、体力的な衰えなどからできないことも増えます。結果、選択肢が時間の経過とともに減っていってしまいがち。しかしそれまで生きてきた経験を土台にし、新しいことへ対峙して判断を重ねれば、誰にも真似のできないその人だけの領域が生まれます。
70歳でEXCELを覚え、80歳でFacebookを始め、90歳でスマートフォンの機種変更をする。玉置さんは選択肢が減った「老人」ではなく、誰にも真似のできない誰からも頼られる先輩としてサンコーインダストリーに居続けています。
玉置さん、いつもありがとうございます。まだまだご心配をおかけしたり、叱られることばかりだと思いますが、これからも、ご指導よろしくお願いします。
社内とは、少し距離をとった東大阪市の片隅から改めてギネス記録の騒動を拝見し、ほんの少しだけ戸惑いながら、とてもうれしく感じていました。
しかし、すっげえな。勤続65年って。
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