東大阪の顔!B.LEAGUE(Bリーグ)大阪エヴェッサ・藤髙 宗一郎

   

インターンのお千です。
朝晩の冷え込みが続く今日この頃。みなさんは風邪などひかれていませんか?
深まる秋に楽しめるスポーツ観戦は、ラグビーだけではありません。男子プロバスケットボールの新リーグ、「B.LEAGUE(Bリーグ)」も熱い戦いを繰り広げています。
男子プロバスケットボールは、今注目すべきスポーツのひとつ。そんなBリーグに、東大阪に縁ある選手がいるのです。

じゃんっ!若々しいこのイケメンアスリートの正体は…。

Bリーグ・大阪エヴェッサ所属の藤髙宗一郎選手。大阪商業大学高等学校・関西大学出身の26歳です。
現在大阪商業大学に通う記者は、系列校のいわば先輩である藤髙選手にぜひお話を聞きたい!を取材を決行。
記者が通学中いつも目にする、電車内をジャックするエヴェッサのポスター。その中心に大きく写る藤髙選手は、東大阪にどんなルーツがあるのでしょうか?

大阪エヴェッサの拠点へ!舞洲にある、府民共済SUPERアリーナ。アリーナに入ると、選手たちがお出迎え。

―今日はよろしくお願いします。

藤髙 よろしくお願いします。今日は東大阪についてのインタビューということで、何話そうかいろいろ考えてきました。

―わあ、ありがとうございます!今シーズンから地元 ・ 大阪へ帰ってこられましたが、いかがですか。

藤髙 嬉しいです。バスケに関わらなくても、いつか大阪に帰ってきたいと思っていました。バスケ選手として帰ってくることができて、めちゃくちゃ嬉しいです。

―ご出身は大阪市住之江区ですが、中学校は奈良県・香芝だったんですね。

藤髙 幼稚園まで住之江にいて、小学校から香芝に引っ越しました。

―それではご自身の感覚は奈良県民ですか?

藤髙 いえ、大阪府民です(笑)中学が奈良と言うと、「奈良県民やん」とよく言われました。

―失礼しました(笑)。バスケはいつから始められたんですか?

藤髙 小学3年生からです。奈良に引っ越してから、周りにサッカーをしている人が多かったのでサッカー部に入ろうと思っていました。その時、仲の良いバスケ部の友達に連れられて、部の見学に行ったんです。楽しそうと思ったのと、身長が周りに比べて少し高かったので、先生に誘われてそのまま入部しました。

―お友達がきっかけだったんですね。私たちがラグビー選手に取材すると、よく「父に連れられて始めた」と聞きます。

藤髙 あ、僕の父もラグビーをやってて…。

―おおー!なんという偶然。

藤髙 幼稚園の頃、父に連れられて花園ラグビー場に高校ラグビーを観に行っていました。ラグビーボールもよく持たされていて。その時から、父に「お前はラグビーをやれ」と言われていました。

ーお父さんは、息子にラグビー選手になってほしいと、強く望まれていたんですね。

藤髙 今でも「お前はラグビーをすると思っていたのに…」と言われます。弟もバスケをしていますが、兄弟で裏切っちゃいました(笑)。

―私たちとしても残念です(笑)。身近にあったラグビーですが、選ばなかった理由って何でしょう?

藤髙 香芝にラグビー部がなかったんです。大阪に住んでいれば、ラグビーをしていたかもしれないです。

―なるほど。それでも、ラグビーのお話が聞けたのは嬉しいです! 記事に書かせてもらってもいいですか?

藤髙 全然問題ないですよ。 僕、ラグビー好きなので。高校ラグビーだけでなく、日本代表の試合も観ます。父の影響でオールブラックスのハカを観るのも大好きです。

ーバスケの選手から、「ハカ」という単語が出るとは。

藤髙 一度生で観てみたいので、いつかニュージーランドに行こうと思っています!

―おお~、本気の目だ…。ラグビー選手との交流ってありますか?

藤髙 いえ、周りにラグビーをしている人がいなかったので。繋がりたいと思っているんですけどねぇ(笑)。

ラグビー好きと聞き、ここぞとばかりにDAENを渡すミホロボ記者。藤高選手は190センチ!

ーちなみにお父さんはクラブチームでラグビーをされていたんですか?

藤髙 そうです。高校の時に花園に出場し、卒業してから大阪のクラブチームに所属していました。

ちなみに母は、昔バスケをしていて。背も高いです。僕たちにはバスケをしてほしくなかったそうです。「まさかバスケをするとは思わなかった」と言われました。

―背の高さはお母さんゆずりなんですね。藤高さんの高校は大阪商業大学高等学校(以下、大商大高校)ですが、入学のきっかけはなんですか?

藤髙 もともと、公立の香芝高校を目指していて…。

ーそれが、大商大高校に。

藤髙 はい。ひとつ上の先輩が大商大高校のバスケ部の監督に、「後輩にいい選手はいないか」と言われたそうで。「身長が高くて外のシュートを打つやつがいます」と僕を紹介したんです。そして、高校の練習に参加した日に、監督から「うちに来ないか」と誘われました。

―先輩の誘いがきっかけだったんですね。大商大高校での生活は勉強とクラブの両立で大変だっと思いますが、学校周辺で思い出に残っているお店はありますか?

藤髙 そうですね… あ、八戸ノ里ドライビングスクールの近くにあった中華料理店です。今も営業されているかわかりませんが…そこの料理がめちゃくちゃ美味しくて。量も多かったです。2部練習が終わったあとに先輩たちと、しょっちゅう行っていました。

おそらくここ。八戸ノ里駅から八戸ドラに向かって北へ行くと見えてくる「大優飯店」。

ーお話を聞いていると私たちもお腹がすいてきました(笑)。

藤髙 あと、高校時代ではありませんが、大学の教育実習の合間に行った、布施高校の近くにあるオムライス屋さんです。

―もしかして、「たまごのちから」のことでは?

藤髙 そうです、そうです。角煮が入ったオムライスがすごく美味しかったです。

―私たちも取材したことがあります。よく昼食に訪れます。

藤髙 そうなんですか。たぶん僕のサインがあると思います。

―わかりました。確認してきます!

藤髙 お願いします。そのお店がずっと忘れられなくて。

―どうぞどうぞ。「たまちか」、行ってみてください。

藤髙 久しぶりに行きたいなぁ。プライベートではけっこう後輩と食事に行ったりするので、今度行ってみます。

後日「たまちか」で店主に確認すると、藤高選手のサイン発見!「そういちろう」と書かれています。

ーオフの日はご飯を食べに行かれることが多いんですか?

藤髙 そうですね。あとは実家に帰ったり、愛知にいる妻に会いに行ったり。妻も同じくプロのバスケットボール選手で、今は離れて暮らしているんです。

―2~3年前にご結婚されたんですよね。トヨタ自動車アンテロープスに所属する栗原三佳選手。大商大高校からのお知り合いだった、とネットの記事で読みました。

藤髙 おお、そこまでご存知なんですね。そうなんです、妻は2つ上の先輩でした。僕が1年生の時に、3年生だった妻はすでに有名人で。でも僕は知らず、友達に教えてもらいました。

ーほうほう。

藤髙 知り合ったのは僕が2年生の時。その頃から連絡を取り合うようになりました。最初は、なんとなく知り合いでした。

―そこからのお付き合いなんですか?

藤髙 いえ。僕が東京でプレーするようになってから付き合い始めました。その頃、妻は東京にバスケの代表で招集されていたので。それがきっかけで、食事に行ったりするようになったんです。

ーおお~。なんか、めちゃくちゃプライベートなことを聞いてしまいすみません…(笑)。さて、大学の頃のお話も少しお聞きできればと。大商大高校を経て、関西大学へ進学されましたが、関大を選んだ理由って何でしょう?

藤髙 誘っていただいた大学が多く、関東に行くことも考えましたが、教員免許が取りたくて。

―教員免許。

藤髙 親に、「もしケガをして、バスケをできなくなった時にどうするか考えておいたら?」とアドバイスをされたこともあり、自分で考えて教員免許を取ろうと思ったんです。バスケよりも力を入れたかったので。それで、教員免許を取れる関西大学を選びました。

―アスリートにとってセカンドキャリアは、誰しもが考えなければならないことですもんね。これはちょっと聞きづらいのですが…。

藤髙 なんでも聞いてください!

―ええと、バスケは入学当時はリーグ戦1部でしたが、3年生で2部に落ちてしまったんですよね。

藤髙 そうなんです。結構つらかったですし大変でした。でも、4年生時に2部で優勝し、なんとか1部に戻れたんです。ただその時のルールで、1部の下位の大学と戦い負けてしまったんですが。

ーなるほど。

藤髙 つらかったですが、今となってはいい思い出です。

―2部のチームはプロへの露出も少なく、なかなかオファーもかかりにくいと思うのですが、それでも藤高選手はプロ入りされました。

藤髙 そうですね。実は、高校の時から目をかけてくださっていた人がいたんです。U18の時にお世話になった先生でした。大学4年生のユニバーシアードでの選考会に、おそらくですがその方が呼んでくださり、そこでいいアピールができたんです。

ーその頃からプロに対する意識はあったんですか?

藤髙 大学3年生の頃は、プロなんて考えてなくて。教師になろうと思っていました。でも、選考会に呼んでもらって、プロ選手になろうと意識しました。

―ふむふむ。選手になることに対して、不安はありませんでしたか?

藤髙 もちろんありました。最初は迷いましたが、「せっかく呼んでくれるチームがあるならチャレンジしてみれば?」と親も言ってくれて。「思い切って自分の好きなことをやってみよう!」と、プロの世界に飛び込みました。

今ではアリーナの壁にも描かれる、プロの藤高選手。(手前から2人め、3のナンバー)

―そこから目まぐるしく、バスケ界も変わっていきましたよね。別れていたリーグが統一され、Bリーグが誕生しました。

藤髙 はじめに所属していた日立サンロッカーズ東京(現サンロッカーズ渋谷)は、NBLの企業チームでした。引退すればサラリーマンになるのが普通だと思っていましたが…。

ーBリーグの誕生で、ガラッと環境が変わった、と。

藤髙 Bリーグ発足後、移籍をする選手がどんどん増え、自分もチャレンジしてみようという思いが芽生えました。そして、毎年オファーをいただいていた地元 ・ 大阪エヴェッサに決めました。

―移籍しやすい環境が、藤髙選手のバスケ人生の転機にもなったんですね。これはラグビーにも言えることなんですが、今の子供たちには野球やサッカーが人気です。子供たちにバスケを選んでもらうためには、どんな環境を作っていくのが良いでしょう?

藤髙 僕がバスケを始めた頃は、プロがあるとは知りませんでした。しかし、今の子供たちはプロ選手に関わる機会が多く、うらやましいです。実際にエヴェッサも、子供たちと触れ合う機会が多いですし。

ー積極的にバスケの普及活動をおこなっていますね。

藤髙 はい。ですから、クラブでも試合を観に来てもらう機会をどんどん作っています。

ー東大阪でも、エヴェッサの観戦チケットを子供たちにプレゼントする企画がありました。

藤髙 あ、僕、その企画で野田市長を表敬訪問しました(笑)。そういった子供の観戦機会を増やすことで、子供たちに「バスケってかっこいいな」と思ってもらえれば、自然と競技者も増えると思います。そのために、僕たちもプレーを頑張らないといけませんね。

―選手は子供たちの憧れですもんね。

練習中の風景を撮影。普段の気さくな感じとは打って変わり、プレー中は真剣な目つき。このギャップ!

藤髙 エヴェッサではプロジェクションマッピングを使って、アリーナのエンターテインメント面でも力を入れています。この中でプレーができ、選手はフロントスタッフに感謝しなければならないですし、それに加えて、「競技力」を上げていくことも大事です。
ー「競技力」ですか。

藤髙 はい。技術もさることながら、日本代表に選んでもらえるような選手にならないといけないと思っています。「リーグで1番」の素晴らしい環境に感謝し、ファン・ブースターのみなさんに喜んでもらえるように頑張っていきます!

最後はアリーナ入口にて。おちゃめなポーズを決めてくれる藤髙選手。

ふんわりとした笑顔で、その場を優しく包みこむような雰囲気。高校だけでなく、ご家族も東大阪に深い縁があるとは驚きました。

どんなお話も気さくに答えてくださり、私が描いていたクールなイメージとはまるで違っていました。しかし、試合で見せる表情は一変。冬の寒さにも負けない、藤髙選手の情熱溢れる魂のプレーを、あなたの目にも焼きつけてください!
Bリーグはシーズン真っ只中。観戦チケットは公式サイトから。この記事を読んだあなたはもう藤高選手オタク。エヴェッサの試合で、藤高選手を応援だ!

大阪エヴェッサ公式サイトはこちらから

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