7月18日に開幕が迫るJFL(日本フットボールリーグ)。FC大阪は、今年はどんなサッカーを見せてくれるのでしょうか。
今回は、2020年シーズンに就任した塚原真也監督にインタビュー。FC大阪がJ3リーグに参入するためのキーマンです。
サッカーを初めたきっかけからFC大阪の監督になった経緯、将来像まで、FC大阪大好き記者・ホッケー梶間が聞いてきました。
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JFL内の監督の中では、2番めに若い塚原監督。
ー今日はよろしくお願いします。まだ練習試合でしかお会いしていないので、緊張しています。
塚原 こちらこそ、よろしくお願いします。そんなに緊張しないでください(笑)。
ー出身地は吉澤会長と同じ、京都だそうですね。
塚原 はい。結婚して子どもができた今も、住んでいます。
ー京都から練習場(大阪)まで通われているんですね。お父さんがサッカーチームの監督をされているということは、子どもさんも…?
塚原 そうですね。長男は小学生でクラブチームに入っています。将来、FC大阪で活躍できるように育てています(笑)。
ーあはは(笑)。親子でFC大阪で活躍する姿、見てみたいですね。やはり塚原監督ご自身も小さい頃からサッカーを?
塚原 父と兄がサッカーをしていたので、気づいたときにはボールを蹴っていました。
ーサラブレッドですね。
塚原 記憶が正しければ、1歳か2歳のときはアメリカ・バージニア州でサッカーをしていたんですよ。
ーえっ、そんなに小さいときに海外へ。
塚原 さすがにそのときのことはほとんど覚えていませんが(笑)。幼稚園にあがるくらいの年齢には、日本に戻って来ていました。
ーですよね(笑)。戻ってきてからはどんな少年時代を過ごされたんでしょうか。
塚原 小学生のときにサッカーチームに入り、FW(フォワード)やボランチでプレーしました。
ー実は僕も、小学生・中学生のときはサッカーをしていたのですが、FWかボランチでした。
塚原 あ、サッカーやられていたんですね。名前を聞いたとき、ホッケー梶間さんとおっしゃられていたので、想像がつきませんでした。
ーよく言われます(笑)。
塚原 その後は、京都市内の中学校に進学。高校生のときは京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)のユースでプレーしました。
ー京都サンガF.C.といえば、最近スタジアムが新しくなりましたよね。
塚原 立派なスタジアムが建ちました。いつかあそこで京都サンガF.C.と対戦したい。
ー僕もあのスタジアムに行くときは、FC大阪の試合のときだと思っています。高校卒業後もやはりサッカーを?
塚原 はい、京都産業大学に進学し、続けました。
ーずっと京都ですね。
塚原 そうなんですよ。大学卒業後も京都のクラブチーム・アミティエSC京都(現・おこしやす京都AC)でプレーしました。

小学校のときから社会人までずっと京都でプレー。地元愛を感じます。
ーおこしやす京都は、現在は関西サッカーリーグDvi.1でプレーするチームですね。選手兼コーチでプレーされています。
塚原 最初は選手としてプレーするつもりでした。当時の西村俊寛監督に「選手兼コーチとしてやってみないか?」と言われたのがきっかけです。翌年には、選手を引退しコーチ専任に。
ー元々は選手として入ったのに、コーチになるってなかなかの決断なんじゃ…。
塚原 当時の監督のことが好きだったんです。一緒にコーチングをやりたいな、吸収したいなと思ってすぐに切り替えられました。
ー今の塚原監督があるのは、そのときの監督のおかげということですね。
塚原 その通りです。指導者の資格を取りたいと思い、2016年からはヴィッセル神戸でもコーチを経験しました。
ーヴィッセル神戸で指導となると、とてもすごいことのように感じますが。
塚原 たしかに、そう思われるかもしれません。今でこそ、ビッグネーム(イニエスタ)がいたり、天皇杯で優勝したりしていますが、当時はそんなに強くはありませんでした。
ーでも、JリーグのチームからJFLのFC大阪となると繋がりがあまり見えて来ないのですが、どのような経緯で?
塚原 FC大阪の岡崎GMから「ぜひ指揮を執ってほしい」と、打診があったんです。岡崎GMや吉澤会長との面談を重ねていくうちに熱意に惹かれました。
インタビュー#2では、FC大阪の監督を務めることになったきっかけと塚原監督が思い描く将来像について聞いていきます。
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