2月25日(火)に「Jリーグ百年構想クラブ」の認定を受けたFC大阪。
今年度の日本フットボールリーグ(JFL)で「4位以内かつJリーグ百年構想クラブを持つ上位2チーム」「年間入場者数30000人」をクリアし、Jリーグ理事会で入会が認められれば、J3リーグに参入できます。
今シーズンは東大阪市花園ラグビー場第2グラウンドでも7試合ホームゲームを行う予定です。
今回は、前回に引き続きFC大阪のトップ吉澤正登会長にお話をうかがいました。経営者としての側面に迫ります。
ー現役を引退されて、すぐに日本に帰ってこられたんですか?
吉澤会長 いえ、ブラジルで飲食店を共同経営したりしていました。年功序列も嫌なので、日本に帰ってサラリーマンになるのは無理だなと思っていたものですから。
ーサッカーとは全く関係ない仕事ですね?
吉澤会長 そうですね、1年か2年くらい。
ー日本以外の地で今までの自分と全く関係のないことで働くって、想像できないですね…。
吉澤会長 大きなことのように聞こえるかもしれませんが、ブラジルには日系企業がたくさん存在します。さらに日系人で助け合う日本人会というものもありますから。
ー日本人会!たまに耳にします。
吉澤会長 26歳のときに日本人会で知り合った経営者の方が、日本の人材派遣会社を紹介してくださったんです。声をかけていただいたので、せっかくだからと決心し、日本に帰ってきました。

昨シーズン、ホームは全試合、アウェーの試合でもよく吉澤会長とお会いしました。
ー日本ありきではなく、次の働く場所が日本だった。
吉澤会長 日本の転換期でした。バブルが崩壊して、労働市場も変わり、それまでの年功序列的、終身雇用制度の考え方が少しずつですが変わろうとして来た時代です。
ー価値観が変わっていく、そんな時代ですね。
吉澤会長 この人材派遣の会社で2年目(1994年)から社長をやって、2006年に後進に譲るまでは必死に走りました。
ー企業人として組織を大きくしていくとともに、分野的にも日本社会へ大きく寄与されたという意識はお有りですか?
吉澤会長 もちろんあります。私が人材派遣の世界に飛び込んだのは「これからは実力主義になる」と言われ始めたころ。年功序列や馴れ合いに一石を投じて、よりよい日本社会を築くお手伝いはできたんじゃないかと思います。
ー時代を作っていくって、かっこいいですね。サッカーとのつながりは、その間は途絶えていたんですか?
吉澤会長 私はやはりサッカーに育ててもらっていましたので、恩返しできたらというのもあり、1996年に会社内にサッカーサークルを作りました。
ーもしかしてそれが、FC大阪につながって…。
吉澤会長 2006年に前職の社長を辞任し、その直後にFC大阪の母体であった(株)アールダッシュの設立をしました。同時にサッカーサークルもプロ化に踏み切ります。
ーサークル、部活をクラブに移行させた瞬間ですね!でも、人材派遣の世界とサッカークラブの経営。かなり勝手が違うような…。迷いはありませんでしたか?
吉澤会長 もちろん決断はしましたが、最終的には「失敗したら失敗したときのこと」という気持ちです(笑)。
ーあはは(笑)。でも「今までと違うな」と感じることも多いと想像しちゃいます。
吉澤会長 会社経営がうまくいってもチーム成績が振るわなかったときは、「なかなか思い通りに行かないな」と思いました。

昨シーズンは、6連敗も経験しました。
ー経営判断が正しいからといって、勝てるわけではないですもんね。でも、ファン・サポーターも勝利を期待する。チーム運営って大変。
吉澤会長 でも、毎試合の勝ち負けに関われる。ここが他のビジネスにはない、スポーツビジネス経営の良いところ、面白いところでもありますね。
ーひとつのビジネスを成長させて、ひとつの成果を出した吉澤会長がおっしゃると、ものすごく説得力がありますね。
FC大阪吉澤会長にインタビュー3では、吉澤会長が考えるFC大阪の理想像について聞いていきます。
FC大阪吉澤会長にインタビュー1 サッカーとの出会いとブラジルでの経験
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